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「ラジオ中継」
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| 井崎 脩五郎 | |
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実況録音に耳を傾けて興奮 そんな時代もあったんだなぁ 第1回日本ダービーが行われた昭和7年(1932年)以降、日本および世界では、競馬でどんな出来事があったのか。それを1年ごとに新聞形式でまとめた『競馬歴史新聞』(日本文芸社)は、たいへんな労作である。新聞らしく、1年にひとつずつ四コマ漫画まで付けているのだから、どれくらいの手間がかかったのか、想像もつかない。こんなことがあったのか、そんなこともあったのかと、初耳の話が次々と出てきて、ページをめくるのに飽きることがない。この名著の冒頭、昭和7年のところに、「初の競馬ラジオ放送」という見出しで、次ぎの記事が載っていた。 〈「こちらは阪神沿線鳴尾、阪神競馬倶楽部競馬場でございます。一時、野球の中継を中止いたしまして、ただ今から阪神春期競馬第3日目の第8競馬、帝室御賞典競走の実況を放送いたします」。永原芳雄アナウンサーの名調子が響く。4月3日、午後2時15分。本邦初めての競馬ラジオ中継が実現した。これは競馬界にとっても放送界にとっても画期的な出来事と言える。また今年の夏にはロサンゼルス・オリンピックが開催された。トラブルで実況放送が不可能になったため、競技終了後に見たものを実況さながらに再現する「実感放送」が行われたところ、これが熱狂的な人気。全国のラジオ店に客が殺到したのだ〉 この記事で初めて、実感放送なるものがあったことを知った。実感放送とは、詳しくどのような内容だったのか。それを知りたくて、『日本なんでもはじめ』(泉欣七郎・千田健共編、ナンバーワン)にあたってみたら、次ぎの記述があった。 〈実況放送は、アメリカ・オリンピック委員会の反対でだめになったので、考えたのが「実況放送」ではなく「実感放送」。アナウンサーが実際に見た競技の実況をメモしておき、ロサンゼルス市内のKFI放送局に駆けこんで、実況さながらに日本に送ったのである。なにも知らない日本の国民は、この「実感放送」に、手に汗を握って興奮したのだから、まことにうららかな時代であった。このとき、アナウンサーとして東京放送局から松内則三、河西三省、大阪放送局から島浦精一の三人が派遣された〉 昭和6年も昭和7年も どちらも正解ってことだよね この記事にある松内則三氏の名前に記憶があったので、これだったかなぁと、『ギャンブル雑学事典』(毎日新聞社編)を開いてみたら、「競馬の初の実況放送」という見出して、次ぎの記事が出ていた。この記事によれば、初の競馬ラジオ放送が行われたのは、昭和7年ではなくて、その前年の昭和6年らしいのである。 〈競馬が電波にのったのは意外に古い。NHKの放送資料によると、昭和六年七月三日、札幌郊外の琴似競馬場からNHK札幌中央放送局が中継したのが初めて。翌七年四月三日、鳴尾の阪神競馬場で行われた帝室御賞典競走が、JOBKから永原芳雄アナの実況で流された。ロビンオーが2000メートルを2分8秒3で勝ったレースである。関東では同年四月十七日、JOAKが春季東京競馬の帝室御賞典競走をとりあげた。アナウンサーは松内則三氏だった〉 ご覧のとおり、初の競馬ラジオ放送が行われたのは、この記事では昭和6年となっている。はたして昭和6年と昭和7年、どちらが正しいのか。 このことについて、『競馬異外史』(早坂昇治、中央競馬ピーアール・センター編)にあたってみたら、いやぁ、じつにこまかく載っていた。 〈昭和5年(1930)の春のことであった。ラジオで競馬の実況放送をしたいという希望が、東京放送局(今のNHK)から帝国競馬協会に出された。これに対して農林省畜産局で、なんと2年間にわたる慎重な審議が続けられた。慎重論のなかには、相撲放送がそうであったのと同じように、もしラジオで競馬の放送をしたら競馬場に客がこなくなるのではないかという意見もあった。そして昭和7年6月に、 「出走馬の決定、産地、特徴など競馬が馬の能力検定機関なる所以を説明するにとどめ、他面、勝馬投票券の発売状況、発売額および勝馬に対する払戻金等に関する事項には一切ふれざること」という条件をつけて、実況放送をしてもよろしいという許可がでた。 しかし、日本の競馬放送のはじまりは、NHKによると昭和6年7月3日に札幌放送局で行われたというが、これは畜産局が許可を出す以前のことである。この日は春季札幌競馬の初日で、特に大きなレースはなく、ただ札幌競馬の初日の様子を伝える程度のものであったらしいが、内容の詳細についてはNHKでもわかっていないという〉 なるほどと、これで分かる。たしかに昭和6年に競馬のラジオ放送は行われているのだが、認可されたものではなく、内容も不詳だから、真っ先きということなら昭和6年だが、ちゃんとしたラジオ放送ということなら昭和7年ということになるのだろう。 この『競馬異外史』には、その昭和7年4月3日に行われた永原芳雄アナウンサーの実況が、速記録を元にして再録されている。名実況である。 「春光麗日のもと、燦として輝く天皇賜杯を前にしてのこの争奪戦、……前は春かすむ芽亭の海、右に松柏を隔て甲子園、左は武庫川堤の青松、背後に六甲の連山を負う、まさに一幅の絵であります。各馬は順次発馬点に向かいます。憂々の蹄音、発馬係は台上に昇りました」 この実況を賞して、早坂昇治氏は、「絵を見るような放送であり、まさに言葉の芸術」と書かれているが、同感の諸氏は数多いことだろう。 (社台グループ発行月刊誌『Thoroughbred』平成15年2月号より転載) |